0327 手のなか

ズキです。

 

前田一郎さんの『気のないコップ100こ』、残すところ明日までになりました。

昨日、「そういえばもう三日しかないんじゃん!」と気づいて、

このコップたちと店番しているのもおしまいなんだと思うととても寂しい気持ちになりました。

なぜかずっと一緒のように思えていたし、

こんなふうに別れとして心にのしかかるとは思っていなかったので、すこし驚きでした。

 

 

少し前に、だいすきな先輩に紹介してもらって、パン作りのアルバイトをしていました。

すでにこねられた生地を形にするっていうオイシイところの工程をおもえていたわけですが、

なにも知らないど素人の私に、その先輩がパンのことを大切に大切に教えてくれたおかげで、

忙しい中でもパン作りの感じ方、たのしさ、嬉しさからパン作りに触れることができました。

その時に、手のひら全体で、モノ言わぬ生き物と、

コミュニケーションをとるような感覚を初めて体験しました。

 

 

自分は絵を描くのですが、私にとって自分の絵は自分よりも目上で、

思えばいつでも、絵を描くことによってなにか諭されることばかりのように思います。

先輩がこねた生地の発酵を待って、分割してまるめて、また発酵させて、成型する。

手のひらでつつんで、手のひら全体でパンの調子を感じ取る。

そういう”やりとり”がとても尊く、その世界がとても神秘的に思えたのを覚えています。

 

 

パン屋だから形は揃えないといけないのだけど、

毎日雰囲気が変わって、それも毎日作って、合計ではいつの間にかたくさんの量になっていて。

前田さんの『気のないコップ』には、その、ころころとして愛おしい塊のことを想わされる気がします。

 

 

また、毎日のそういう「気合を入れるわけではない」日常のひとつひとつって、

結晶のような、ドローイングのような、そういう尊さもしんみりと感じます。

同時期に夏至さんで中西なちおさんの『記憶のモンプチ』展を観れたのも、

自分の中では大変意味をもつものでした。

 

 

始まった時に、「気のないズキとは」なんて変なことを書いたけど、

自分の中のテーマに、そういうことがあって

いつも肩に力が入っているわたしは、

気のないモノを作り続けるひとになりたい。

 

すでに言ってる事が重いけど。

お相撲さんも踊ればヨイヨイってゆーか。

 

いろんな出来事の激流の中、脳天チカチカなズキでした。